chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン

ロブロが教えてくれたデンマークの豊かな暮らし

Chapter 6 / 第6章
ロブロが息づく街を歩く
歴史と日常がつながるコペンハーゲン

7月7日。
本日は七夕である。
日本であれば短冊に願いを込める日だが、ここコペンハーゲンはあいにくの曇り空で、時折小雨が肌を濡らす。

7月とは思えないほど空気は冷ややかで、上着が手放せない一日となった。

今日はパンを焼く日ではない。

ロブロがデンマークの人々の日常においてどのように愛され、どのように生活に溶け込んでいるのかを、自らの目で確かめるフィールドワークの日である。
「街を歩けば、必ず新たな食との出会いがある」
――そんな高揚感を胸に、コペンハーゲンの街へと繰り出した。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン 朝食

国の歴史を見つめ続けてきた大聖堂

最初に訪れたのは、コペンハーゲン大聖堂(聖母教会)である。
ここはデンマーク王国教会の総本山であり、国内で最も高い格式を誇る国立大聖堂だ。
現国王フレデリック10世も、2004年にこの荘厳な教会で結婚式を挙げられている。

重厚な歴史を刻む建築でありながら、一歩足を踏み入れると室内の印象は驚くほど穏やかで温かい。
白を基調とした空間にはやわらかな自然光が差し込み、静寂の中に深い温もりが満ちている。
過剰な装飾で圧倒するのではなく、無駄を削ぎ落とした美。
その空間に身を置くことで、デンマークという国が大切にしてきた「質素でありながら真に豊かな美意識」の一端を理解できた気がした。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン コペンハーゲン大聖堂 (聖母教会) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン コペンハーゲン大聖堂 (聖母教会)

パンもまた同様である。
ロブロは決して見た目が華やかなパンではない。

しかし、毎日の食卓を質実剛健に支え続けてきたからこそ、人々の心と暮らしに深く愛されてきたのだ。
教会の静けさに包まれながら、そのような思考を深めた。

400年以上、街を見守り続けるラウンドタワー

次に向かったのは、17世紀前半に建設されたラウンドタワー(円塔)である。
円筒形の独特なフォルムは、コペンハーゲンを象徴するランドマークの一つだ。
塔の内部には階段が存在せず、螺旋状の緩やかなスロープが頂上まで続いている。
この塔を建てた王様クリスチャン4世は建築オタクだったと言われているが、並々ならぬ天文学への興味が高じて、天文観測台まで建設したのである。
王様が馬で観測所まで行けるよう、階段ではなくスロープとなっている、と言われている。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン ラウンドタワー
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン ラウンドタワー chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン ラウンドタワー
一歩ずつ坂道を登りながら窓の外に目をやると、少しずつ街並みの表情が変わっていく。
急ぐことなく、ゆっくりと頂上を目指す。
そのプロセス自体を楽しむ設計になっていると感じられた。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン ラウンドタワー

この「焦らない」という感覚は、本行程を通じて何度も実感したデンマーク特有の美徳と重なる。
ロブロもまた、発酵を急がない。
食事も時間をかけて味わう。
そして街もまた、人が歩む速度に合わせてつくられている。
効率のみを至上命題とするのではなく、人間が心地よく存在できる時間を尊重する。
そうした価値観が、この街にはごく自然に息づいていた。

食文化が集まる場所「Torvehallerne」

雨脚が少し強まってきた頃、私たちはトーヴハレネ(Torvehallerne)へ向かった。
コペンハーゲンを代表する屋台型フードマーケットであり、観光客のみならず地元の生活者で賑わう食の拠点である。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン トーヴハレネ(Torvehallerne)
昼食を楽しむ人、テイクアウトを待つ人、新鮮な食材を買い求める人。
活気あふれる市場には、人々のリアルな日常が流れていた。
人気店の前には長い行列ができ、それぞれの店舗が一つの食材や料理に特化したプロフェッショナリズムを見せている。
「専門店が専門店として高品質に成立する」という、食文化の成熟度の高さを如実に感じる空間であった。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン トーヴハレネ(Torvehallerne) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン トーヴハレネ(Torvehallerne) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン トーヴハレネ(Torvehallerne) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン トーヴハレネ(Torvehallerne)

ロブロの次に出会った「運命のパン」

今回くらもとさんが案内してくださったのは、アウリオン(Aurion)社の高品質なライ麦や小麦などを使用する注目のベーカリー(Albatross&Venner)であった。

そこで昼食としていただいたのは、一見すると極めてシンプルなパンであった。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン BMO (Bolle med ost) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン BMO (Bolle med ost)
しかし、これが今回の旅で忘れがたい大きな衝撃となったのである。
その名はBMO(Bolle med ost)。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン BMO (Bolle med ost)
直訳すると「チーズを挟んだおひとり様サイズのパン」である。
デンマークにおいては国民的な朝食・軽食として人気が高い。

パンには香り高い高品質なサワーブレッドが使用され、その間には上質な発酵バターと熟成チーズが贅沢に挟み込まれている。
くらもとさんが特におすすめしてくださったのは、デンマーク西海岸でつくられる「ノースシーチーズ(Vesterhavsost)」であった。
長期熟成による深い旨味とシャリッとしたアミノ酸結晶の食感、しっかりとした塩気が特徴のハードチーズで、爽やかな酸味を持つサワーブレッドとの相性は筆舌に尽くしがたい素晴らしいものであった。
構成は極めてシンプルである。
しかし一口噛み締めると、パンの芳醇な酸味、バターのコク、チーズの濃密な旨味が見事なハーモニーを奏で、「これは実に旨い!」と思わず声が出た。
日本市場でも間違いなくヒットするポテンシャルを秘めたパンだと確信した。

ここでくらもとさんから「実は、BMOにはデンマーク人ならではの正しい食べ方があるのですよ」と教示を受けた。
BMOは、パンの間にバターとチーズが2枚重なった状態で提供される。
日本人であれば、そのままバーガーのようにサンドイッチとして頬張ってしまうだろう。
私自身もそう食べるものだと思っていた。
しかし、それはデンマーク流ではないという。
デンマーク人は上下のパンを二つに開き、それぞれの上に乗ったバターとチーズのまま、オープンサンドイッチとして食べるのである。
だからこそ、最初からチーズが2枚重ねて挟まれているのだ。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン BMO (Bolle med ost)

このスタイルは、ロブロの上にバターを塗り、具材をのせていただくスモーブロの作法そのものである。
つまりBMOもまた、「パンを土台として具材を味わう」というデンマーク伝統のオープンサンド文化の延長線上にあるパンなのだ。
さらに面白いことに、現地ではBMOの食べ方を見れば、その人物がデンマーク人か外国人旅行者かが一目瞭然だという。
たった一つの丸パンにも、その国固有の文化とアイデンティティが色濃く反映されている。
こうした発見こそが、フィールドワークの醍醐味である。

デザートまでが"旬"

パンのお供には、芳醇なオーガニックコーヒー。
そして市場をあとにする前、くらもとさんが「ぜひ味わっていただきたい」と立ち寄ってくださったのが、農家さんが夏の半年間のみ営まれている朝摘みいちごが評判のお店であった。
ここで扱うのは、その日の朝に収穫されたばかりの極上の果実のみである。
ラズベリーは日本のイチゴほども大ぶりで、口に含むと甘酸っぱい豊かな香りが弾けた。
ダークチェリーも地元デンマーク産。
みずみずしく、かつ味の濃縮感が素晴らしい。
「イチゴはもうすぐ今季の旬が終わります」という店員の何気ない言葉からも、四季の移ろいと旬を愛でる丁寧な暮らしぶりが伝わってきた。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン  高級果物店 chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン  高級果物店

半年前から準備されていた"特別な時間"

午後、私たちは1835年創業の歴史ある紅茶専門店A.C. Perch's Tea Room(A.C.パークス)を訪問した。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン 紅茶専門店A.C. Perch's Tea Room (A.C.パークス)
後から知ったことだが、この席はくらもとさんが半年前から予約を手配してくださっていたものであった。
ツアー募集が始まる以前から、私たちのために万全の準備が進められていたのだ。
この人気店の席を確保することがいかに困難であるかを知り、くらもとさんの深い細やかな心遣いに胸が熱くなった。

優雅なアフタヌーンティーを堪能しながら店内を見渡すと、隣接する売店では現代においても伝統的な天秤を用いて茶葉の量り売りが行われていた。
能率性のみでは測れない、歴史と伝統を重んじる文化がここにも大切に受け継がれていた。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン  紅茶専門店A.C. Perch's Tea Room (A.C.パークス) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン  紅茶専門店A.C. Perch's Tea Room (A.C.パークス) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン  紅茶専門店A.C. Perch's Tea Room (A.C.パークス) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン  紅茶専門店A.C. Perch's Tea Room (A.C.パークス) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン  紅茶専門店A.C. Perch's Tea Room (A.C.パークス) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン  紅茶専門店A.C. Perch's Tea Room (A.C.パークス)

ロブロを少し忘れて街を楽しむ

その後、運河クルーズへと向かった。

観光ポスターなどで何度も目にしてきた、ニューハウンのカラフルで美しい街並みが目の前に広がる。
雨混じりの風は相変わらず冷たかったが、それもまた北欧らしい情景を醸し出していた。

船上から見上げるコペンハーゲンは、徒歩での散策とはまた異なる立体的な魅力を放っていた。
束の間ロブロの専門的考察から離れ、一人の旅人としてデンマークの美景に酔いしれた。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン 運河クルーズ
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Aamanns Replikで味わうデンマーク・ガストロノミー

夕食は、本行程の中でも極めて特別な体験となった。
訪れたのは、コペンハーゲンで絶大な評価を確立している革新的レストランAamanns Replik(オーマンス・レプリック)である。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン レストランAamanns Replik (オーマンス・レプリック)
今年5月、駐日デンマーク大使館においてアダム・オーマン氏の著書『スモーブロ・ザ・マニュアル』日本語版の出版記念イベントが開催され、私も光栄にも出席させていただいた。
その大著の日本語翻訳という大業を成し遂げられたのが、まさに今回の案内人であるくらもとさちこさんである。
約1年という驚異的な短期間であの緻密な専門書を翻訳し尽くされた情熱には、心から深甚なる敬意を表する次第である。

その特別なご縁もあり、今回オーマン氏の手掛ける名店で夕食をいただくという至高の機会に恵まれたのだ。
あいにく当日は出張のためオーマン氏ご本人は不在であったが、料理が運ばれるや否や、その圧倒的なクオリティに一同絶句した。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン レストランAamanns Replik (オーマンス・レプリック) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン レストランAamanns Replik (オーマンス・レプリック) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン レストランAamanns Replik (オーマンス・レプリック) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン レストランAamanns Replik (オーマンス・レプリック)
一皿ごとに厳選された最高の食材。計算し尽くされた食材同士の組み合わせと味の構築。
完璧なタイミングで提供される給仕、そしてスタッフの洗練されたホスピタリティ。

単に料理を提供するだけでなく、「食事を楽しむ時間そのものを最高のものとしてデザインする」という確固たる哲学が貫かれていた。
ここには「おもてなし」が単なるサービス業の枠を超え、高度な文化として結実していた。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン レストランAamanns Replik (オーマンス・レプリック) chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン レストランAamanns Replik (オーマンス・レプリック)

レストランでしか味わえない一杯

さらに深く感動したのが、ビールの一杯であった。
提供されたのは、ハースレウ・ブリュグフス(Herslev Bryghus)が醸造する、オーマン氏監修のオリジナルIPAビールである。
このIPAビールは一般市場には一切流通しておらず、このレストランの顧客のためだけに存在する幻の一杯だ。
ホップの華やかなアロマと引き締まった上質な苦味。
料理とのペアリングまで完璧に計算された味わいは、ディナーの満足度を一段上の次元へと引き上げてくれた。
「このIPAビールを味わえただけでも、デンマークへ来た甲斐があった」と本気で思えるほど見事な一杯であった。
chapter6 / 第6章 ロブロが息づく街を歩く - 歴史と日常がつながるコペンハーゲン オーマン氏監修のオリジナルIPAビール

最後に届いた、心遣い

ディナーの締めくくりには、思わぬサプライズが待っていた。
不在のオーマン氏からの心温まるご配慮として、特別デザートが一同に贈られたのだ。主役はカシスなど旬のベリーを用いたコンポート。
心地よい酸味と滑らかなソフトクリームが見事に調和し、素晴らしいディナーの最後に爽やかな余韻を残してくれた。
気がつけば、テーブルに着いてから3時間が経過していた。
時計を見て初めてその時間の長さに気づくほど、会話は弾み、一皿一皿を心から堪能していた。
デンマークにおいて「食事」とは単に空腹を満たす生理現象ではない。
大切な人と語らい、季節の恵みに感謝し、人生を豊かに楽しむための至高の儀式なのだ。
その豊かな時間の流れを、私達も身をもって体験することができた。
ホテルへの帰り道、明日はいよいよオーマン氏が現代的に再構築したスモーブロの最高峰を堪能できるという期待に胸が高鳴っていた。
ロブロという歴史ある伝統パンが、現代の洗練されたデンマーク料理(ガストロノミー)へとどのように昇華されているのか。
その解答が得られる最終日が、まもなく明けようとしていた。
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旅行者・手記執筆:杉江正治(ママパン事業責任者)